「キケンが休み? 珍しい事もあるもんだね」

湯気を立たせるマグカップに注がれたホットチョコを少しずつ口に含みながら、ラーディアスが呟く。
ロビーでは、インフェルノの面々がそれぞれ自由に好きな行動を取っている。自由時間、である。
この場に居ないキケンを除いて。

「ラーディアスはボク達より一期下だから知らないアルね。忘れてたアル」

キッチンから出てきたリホンは器用にラーメンのどんぶりを体全体を使って運ぶ。
テーブルに置かれたどんぶりの中にはヤゴが悠々と泳いでいる。一つ辺り役二十匹。
毎度のサプライズラーメンだ。この手の素材では、もう既に誰も驚かなくなっている。
環境の魔力とは、凄まじい物だ。

「毎年この日に、キケンは休むんだよ」

オーランジがツッコミも入れずにどんぶりを手に取り、奥のソファーへと腰掛けた。
そのまま小皿にヤゴを取り除きつつ、ラーメンを啜る。ヤゴが入っていたラーメンをよく食べられる物だ。

「理由は知らないけど、な」

ルシファがゲーム雑誌を閉じ、テーブルに置かれたスナック菓子を適当に掴んで頬張る。
そして小皿の上で手足をゆっくり動かすヤゴを見て軽く萎えた。

「へー……キケンにも、仕事より大事な物があったのかぁ……」
「俺は走れさえすれば仕事でも何でも爆速に受け付けるぜ」

まるで空気を読んでいないアクセルの発言はやがて沈黙に消えていった。
その時、機械音を立てて部屋の奥の自動ドアが右へとスライドされる。

「いやぁー今日の獲物は大物だったけぇ。独り占めして悪いのぅ」

腕をぶんぶんと振り回して、土や煤で薄汚れたテンライがロビーへと帰ってきた。
棚の上にある酒瓶を手に取り豪快に口の中へ流し込む。

「お疲れさん。どんな任務だった?」
「軽く巨大昆虫の群ればっさ切ってきたぜぇ。おどれらにもワレェの雄姿を見せてやりたかったけぇ」
「そりゃどうも」

軽いルシファとのかけあいの後、ソファにどすんと腰かけ、再び酒瓶を口に突っ込む。
並々と満たされていた酒が見る見る消えていくのが分かった。

「んや、キケンがおらんのぅ」
「テンライ。今日は”あの日”だ」
「あぁそうか。”あの日”か」

オーランジが、暗号めいたキーワードを口にする。
するとテンライはすぐに理解したらしく、納得した様子で再び酒を飲んだ。

「誰も、理由は知らないの?」
「あぁ、誰も知らない。誰にも話そうとしないんだ」

ラーディアスはオーランジに質問を投げかけてみたが、その答えは謎のベールに包まれたまま戻ってきた。

「今頃、何やってんだかなぁ」

ルシファの不安にも似た呟きは、ロビーの天井に当たって溶ける。

 

 

 

 

 


The past
キケンの場合

 

 

 

 

 


「キケンちゃぁーん! 見てよ見てよ見てよコレ!」

国立スプラノ大学工学部。
白基調で綺麗に纏められた広いロビーに、無邪気な声がこだまする。
学生は皆、声の発信源を見てくすくすと笑う者もいれば、無視をする者もいた。

「……何度も言うがなセトナ、此処はロビーだ。そしてちゃん付けで呼ぶんじゃない!」
「ごめんねぇキケンちゃん。それでこのマシンなんだけど……」
「反省していないな、また説教するぞ?」
「やだなぁ、反省してるって」

至って真面目に反論をする男と、それを笑ってごまかす少女、セトナ。
セトナは白い身体に、淡い黄色のバンダナを被ったという子供のような可愛らしい容姿だ。
男の名前はキケン。首には生徒の証のタイが括りつけられている。
セトナも同様に着けられているが、油汚れでボロボロだ。

「……まぁいい。話は実験室で聞こうか」
「さっすがぁ。で、コレなんだけどね」
「実験室で、聞こうか」
「分かってますよーぅ」

静と動を形に表したように対照的な二人は、この二人のやり取りを見て面白がっている人だかりを抜ける。
話を止めようとしないセトナに軽く相槌を入れつつ、そのまま機械学専用棟へと急いだ。

 

 

 


実験室。
国立と言うことだけあり、設備の充実は随一。思い思いの実験を此処でする事が出来る。
悪用されないように、防犯カメラが部屋中を常に監視。

「でねぇ、ここを押すと……なんとレーダー機能発動! 凄くない?」
「流石だな。セトナの発明には、いつも予想を裏切られる。いい意味でな」
「でしょー? えへへ、嬉しいなぁ」

二人でテーブルの上に乗せられた等身大のカービィロボットを囲み、何やら難しい話を展開させる。
話に熱中する二人の瞳の中には、夢中の証拠である光が輝いていた。

「セトナは凄いな。発明だけなら、学園一だ」
「キケンちゃん、『だけ』は余計だよ?」
「ふふ、すまなかった」

セトナは、奇想天外な思考と並外れたIQを併せ持つ天才児である。
体形は小柄なので大規模な発明は少ないが、いつも人を驚かすような発明を作ってはキケンに見せに来ている。
しかしセトナは、傍から見れば気違いな性格の為か、同姓の友人は皆無に等しかった。
キケンは、いつも陰でセトナが独り言を言っているのをよく目にする。
そして、それが気がかりで仕方が無かった。

「……セトナ」
「んー?」
「お前は、友達を欲しいとは思わないのか?」
「キケンちゃんはー?」
「俺は独りでも大丈夫だが、せめて昼食を一緒に食べたりする仲の友達がいた方がいいんじゃないか?」
「キケンちゃんがいるじゃん!」
「俺とは、色々な意味であまり一緒にいない方がいいぞ」
「どうして? キケンちゃん優しくて頼りになるじゃん!」
「あのな……同姓の友達は、これから人生を支えてくれる頼もしいパートナーになり得るぞ」
「なんでキケンちゃんじゃ駄目なの?」
「同姓じゃないと打ち明けられない話とかもあるだろ……」

キケンはセトナを大切に思っている。
セトナも同様にキケンを大切に思っているのだが、キケンは大学内でも受けが悪いと評判が良くない。
自分と一緒にいるよりは、最近の流行などを良く知る同姓の仲間と一緒にいた方がいいのではないかと考えたのだ。
これは、キケンなりのセトナへの配慮である。

「……キケンちゃんがそういうんなら、作ってみよっかな」
「その方がいいと思うぞ。何かあったら相談してくれ、力になろう」
「ありがとね! 明日、話しかけてみる」

セトナはにこりと笑顔を見せ、キケンは心を暖める。
そんな和やかな雰囲気の中、実験室の貸し出し時間が近づいてきた。
二人は機材を片付けて部屋を後にする。

 

 

 


翌日、キケンは朝から珍しい物を見ることになる。
ロビーをはしゃぎながら歩く女子大生の面々。これだけならいつもの光景と何ら変わりない。
その列の最後尾辺りに、金魚の糞のようにくっついて歩くセトナの姿があったのだ。
恐らく、迎え入れてもらったのだろう。セトナにしては、華々しい一歩である。
キケンはセトナの幸せを願いつつ、次の講義へと向かった。

 

 

 


その次の日も、女子大生の列の後ろにセトナがいた。
早歩きのような覚束ない足取りで懸命に後を追い、会話に相槌を打とうと必死である。
ひよこを彷彿とさせるその姿に軽く元気を貰ったキケンは、ガラス張りのエレベーターから足を踏み出した。

 

 

 


セトナがキケンを訪ねて来なくなったのは、その頃からだ。
少し寂しくもなったが、不器用ながらも楽しそうにしているセトナの姿を見れば、
それが本望であり自分の望んだ形だと自身に言い聞かせ、独りで微笑むのだ。
自分と一緒にいては、ダメになる。
ホワイトボードに書かれた文字を書き写しながら、そんなセトナの事を考える。

「――このように、機械の力で死んだ肉体を活性化させても、現在の技術力じゃ一日が限界だ。
 ……キケン。ぼーっとしているが、聞いてるのか?」
「……あ、聞いています。失礼しました」

キケンが物憂げな気持ちを抱き始めたのもこの頃からだ。

 

 

 


日の暮れてきた夕方。その日キケンは、許容しがたい会話を耳にする事となる。
キケンは本館の隣に位置する巨大な図書館で、沢山の辞書に囲まれながら読書に勤しんでいた。
膨大な文字量と情報量を要領良く詰め込み、また次のページをめくる。紙の擦れる音が聞こえる。
黙々と読み続けていると、不意に若い女の声が聞こえた。
どうやら、背後の分厚い本棚越しに誰かがいるようだ。一人ではなく、複数人。
図書館でお喋りとは、甚だ迷惑な奴だ等と考えまた手元の本に目を移す。

「セトナ……で……明日…………オッケー……集合……元廃棄……処……場……」

キケンの耳に、馴染みのある名前が聞こえてきた。
しかしそれは心地の良い物ではなく、寧ろ何か嫌な予感を感じさせる響きだった。
本棚を隔てた先の女達は足早に図書館を去り、賑やかなキャンバスへ帰っていく。
キケンは高く積んだ辞書をそのままに、不安な気持ちで席を立った。

キケンの頭に並べられたキーワードは「セトナ」と「元廃棄物処理場」。
この並びだけで、これから起こることをキケンは薄々感じ取っていた。

 

 

 


「ば、馬鹿な事言わないでよ……」

実験室には二人の姿が。

「いいか、もう一度言う。あの女達と縁を切れ」

絶望と、失望が見え隠れした表情を見せるセトナ。
そして現実を突きつける男、キケン。
セトナの目には、涙の雫が伺えた。

「キケンちゃんが……キケンちゃんが……うぐっ、友達作れって……」
「あの連中は危険だ。いつお前に危害を加えてもおかしくないんだぞ?」
「友達作れって言っておいて、今度は縁を切れって言うの……!? 勝手だよ……ひぅっ……」
「お願いだ、俺はお前の身を案じて言っている。これからは俺が傍にいよう、俺が友達になるから――」
「うるさい! キケンちゃんなんか大っ嫌いだ!!」

涙で濡れた顔をくしゃくしゃに歪ませて大声を出すと、セトナはそのまま実験室を飛び出て行った。
強引に開かれたドアがゆらゆら揺れる。
実験室に独り、佇むキケン。

 

 

 


「ひぐっ……えっ……なんだよぅ、キケンちゃんのバカ……バカ、バカ……」

橙色を彩る夕陽が木漏れ日を生み、大学構内の緑道を明るく照らし出す。
その道の脇に設置されたベンチに座り、鼻をすすり泣きじゃくるセトナ。
小鳥の親子が、木から飛び立ち宙に孤を描いて大空へと翼を広げ消えていく。
辺りはしんと静まり、所々に講義を終えた大学生が談笑しながら街へと向かう姿が見えた。

「……キケンちゃん……怒ってるよね…………キケンちゃん……」

すすり泣きも時が経つにつれ小さくなり、目から溢れる涙もいつのまにか渇いていた。
そして、セトナは今までに通過してきた様々なキケンとの記憶を読み返す。
どれもこれもセトナにとって大切な時間であり、同様にキケンもセトナにとって大切な人だという事を改めて思い出した。

「キケンちゃんに、謝らなきゃ」

セトナは立ち上がり、小走りでキャンパスの方向へと駆けていく。
キケンがまだキャンパスに残っていると信じて、走る。会って謝りたい。そして、和解したい。
その時、セトナの後方で誰かが声を上げているのに気づいた。

「セトナーッ!」

セトナは振り返らずに、その声に心を躍らせた。
あの人が探しに来てくれたと。今はそれだけしか考えられなかった。

「セトナ……やっと見つけた」

気が動転していたのだろう。
セトナは今、耳に入る全ての情報をキケンからのものだと信じきっていた。
喜びの溢れた眩しい笑顔で、背後の人物へ顔を向ける。

「キケンちゃっ……」
「やっと見つけた。セトナ」

「今から一緒に、遊びに行こ? 行くよね? セトナ」

セトナの顔から笑顔が消えた。

 

 

 

 

 


「はぁ、はぁっ……」

キャンパス内では人影も少なくなり、普段賑やかな筈のロビーはがらんとしていた。
明かりも消えていて、中は大きな窓から入り込む外の光だけが照らしている。
外は先程の晴天が嘘のように曇り、大雨が降り注ぐ嵐となっていた。
キケンは薄暗いキャンパスを駆け、消息が分からなくなったセトナの姿を探す。
しかし実験室にも食堂にも講義室にも寮の自室にも、彼女の姿はなかった。

『まさかとは思うが……』

キケンは昨日聞いた不吉なワードをもう一度頭の中に並べてみる。
どう組み合わせても不吉なことには変わりなく、焦りが募るだけだった。
キケンは事が起こっていないことを祈りつつ、キャンパスを飛び出し大学専用のバスへと飛び乗った。

 

 

 

 

 

 

…………………………………………


………………………………


……………………


…………


……


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「…………」

セトナはいた。
元廃棄物処理場の、冷たい床に横たわるこの少女は、セトナである。
紛れも無い、セトナ。なんの変哲の無いセトナだった。
それは、ただ生きていないだけで。

「…………」

キケンはいた。
元廃棄物処理場の、冷たい床に横たわる少女の元に立つこの青年は、キケンである。
キケンは、死んでいた。
彼の心臓が止まっていたわけではない。
キケンの目が、死んでいたのである。

 


そっと、彼女の肌に触れる。
叩きつけるような冷たい雨に打たれ、身体は既に冷え切って硬直していた。
流れ出る赤い液体はコンクリートの床を汚し、キケンの手にも液体が薄く着く。
小さな身体には無数の打撲痕。チャームポイントの黄色いバンダナは赤い染みで汚れていた。
辺りには、先端が赤く染まった鉄パイプが数本転がっている。

セトナの遠方に緑色の何かが転がっている。キケンは歩み寄ってそれを手にした。
財布だ。しかし中には一銭も残っていない。全て抜き取られ、用無しになった財布のようだ。
中を探ってみると、小さな写真が一枚。
キケンはその写真を取り出す。

『ずっと一緒』

セトナの無邪気に笑う顔と、キケンの困ったような嬉しいような顔が、写真いっぱいに写っていた。
その中心に、女の子らしいラメの入った文字でそう書かれている。
キケンはその写真を握りしめた。何かに塞き止められていた涙が濁流のように、どっと押し寄せる。
降り続く雨に紛れて、涙が地面へこぼれていった。止まることは、ない。

「…………ずっと……一緒……ごめん……ごめん……セトナ…………」

キケンは少女の亡骸によろよろと近づき、抱き寄せる。
半開きのままの瞼を手でゆっくりと閉じてやり、額に小さく口付けをした。
二人の身体がいくら近かろうと、体温がセトナに戻ることは無かった。
雨は変わらず降り続ける。

二人だけの時間が、ゆっくりと続いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「はっきり言って、無謀だ」

キケンは人のいない講義室で、大学の教授と二人向き合う。
二人は机を挟むようにして座り、机の上には誓約書と書かれた一枚の紙が置かれていた。

「無謀でも……セトナは、このままじゃダメなんです」
「しかし、講義で前に習ったはずだ。現在の技術で、死者を蘇らせることは困難であり膨大な資金がかかる事を」

キケンは、セトナへの思いをうやむやに過ごす日々が続いた。
そんな思いを晴らすために、このような思い切った行動に出たのだ。
正直言って、狂っている。狂うほど、キケンはセトナを思っていた。

「分かっています。だからこれから一生をもって稼ぎます。どうか……」
「量が量だ。いくら君でも、これ程の金額は稼げないよ」
「お願いします……お願いします……」

頭を下げる他、なかった。
当たり前だ。この金額は、ただの大学生が出せる程ちゃちな物ではない。
必死に頭を下げる中、教授は残念そうに「こればかりは仕方がない」と言わんばかりの表情でキケンを見ている。
その時、不意に講義室の外から声が聞こえた。

「すみません、失礼します」

ドアががらがらと音を立てて開き、中に年をとった男性がゆっくりとした足取りで入ってきた。
その男はその場で立ち止まりこちらを向くと、一つぺこりと頭を下げた。

「ワタクシ、セトナの祖父のアコウと申します」
「なっ……」

キケンは思わず声を漏らした。
それを見たアコウはキケンに顔を向け、小さく笑みを返した。
アコウの話は続く。

「お話は聞かせていただきました。どうやら、セトナに言えなかった事があるようですね」

キケンは黙って首を縦に振った。
アコウはそれを確認し、話に戻す。

「セトナはまだ幼い頃、両親が離婚し、私の所に強制的に送られてきました。
 ……妻に先立たれ孤独を過ごしていた所に舞い込んできたあの子を、ワタクシは大事に大事に育てていました」

セトナの両親が離婚しているというのを聞くのは初耳だった。
彼女は自分から過去を話そうとは絶対にしないのだ。
その時、教授が閉じていた口を開く。

「まさかアコウさん、貴方……あのアコウさんですか!?」
「おや、気づかれましたね」

キケンは、驚愕を露にしている教授の顔を見る。

「どうしました?」
「キケン、この人は数々の長者特集番組で必ずと言っていいほど登場する人だ。
 つまりかなりの財産を持っている人……だな」
「……! 程度は?」
「フルト区の税金の四分の一を払っている人と言えば分かるか?」

驚愕がキケンにうつる。
アコウはニコリと微笑み、今日来た目的を話し始めた。

「キケンさん。貴方の話は良く聞いていました。あのセトナを大事に思ってくれて、とても嬉しく思っています」
「いえ、こちらこそ。彼女には沢山の大切な物を貰いましたから……」
「貴方がセトナに伝え切れなかった思い、それはとても深い物でしょう。
 ……このままにしておけば貴方はこれからも苦しんでしまいます。ワタクシも同じです」

アコウは一度話を切った。

「ワタクシはセトナに、沢山の思い出を貰いました。そのお礼を伝えることの出来ないまま終わってしまうのは嫌なんです」
「……つまり?」
「セトナをワタクシの財産で、もう一度動かします」

キケンは驚きの顔を見せてしばらく黙り込み、そしてその顔を上げた。
その表情は喜びや嬉しさという名前は似合わず、困惑という言葉がお似合いという感じだった。

「……それだと、貴方に迷惑が掛かってしまう」
「しかしそれが貴方にとってもセトナにとっても……ワタクシにとっても良い事だと思うのです」
「だからと言って……」
「これは、ワタクシの問題でもあるのです」

アコウの顔は真剣だ。
キケンはその芯の強さに負け、顔を伏せる。
そして、呟きに近い形で言葉を弱弱しく押し出した。

「お願い……します」
「はい。承りました」
「ですが、条件があります」

キケンの顔が上がる。

「今年、この学校を卒業したら就職します。その給料の半分を……貴方に払わせてください」
「……いいのですか?」
「元々、私の我侭ですから」

こうして交渉は終わった。
部屋を出る時に教授がキケンに歩み寄り呟いた言葉はキケンに深々と突き刺さる。
キケンはその現実に対して反論が出来ず、そのまま独りで帰路へつく事となった。

 


「忘れるな。お前は、セトナを二回死なせる事になるんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 


真昼の病院に、パタパタと騒がしい音が響く。
キケンだ。
患者や医師達の為の食堂や、お見舞いコーナー等を横目で追い越し、彼は階段を素早く駆け上がる。
踊り場から差し込む光を無視して、一気に対極の階段を一段飛ばしで上る。途中から二段飛ばしになった。
階段を登ると廊下に出て、そこを左に曲がる。人目を気にせず突っ走れば、廊下はもう突き当りを迎えていた。
突き当りには扉があり、その上には「関係者以外立ち入り禁止」の看板が掲げられている。
キケンはその扉を容赦なく開け放し、中へと飛び込んだ。

今日はセトナの蘇生予定日。そして、死亡予定日でもある。

「どうでした!?」

普段の落ち着いた様子を微塵に感じさせることなく、中にいた医師へと問いかける。
その取り乱し方は、中にいた者を1cm宙に浮かせる程の物だった。
中は椅子が設置された応接室になっていて、アコウと医師、大学の教授が待機していた。

「落ち着いてキケンさん! 実はキケンさんに一つ言っておかなければいけないことがあります」

医師は焦るキケンを全力で落ち突かせ、やっと落ち着いたキケンに対して念を押すように話しかけた。
キケンは小刻みに足でフットワークを取りつつそわそわと辺りを見回しながらも、その話に耳を傾ける。

「いいですか? ここは防音効果が施されていますけど、中ではちょっとの大声もご法度です。
 それだけ脳波が過敏になっています。……仮にも一度、命を失った人ですからね」

医師は指を顔の前に持ってきて、口の前で立てて見せた。
キケンは素早く何度も頷いて、早く入れろとうしながすように扉の方へと何度も顔を向けた。

「落ち着いてください! まだあるんです。実は思ったより身体の状態が酷くて……。
 面会は、3分のみになります。それ以上、意識を維持させることができないんです」
「3分あれば充分です。早く、早くセトナに……」
「キケン」

不意に、教授がキケンへと後ろから声をかけた。
キケンは振り返り、教授へとその焦った顔を見せる。

「キケン。分かっていると思うが、これはアコウさんがくれた最後のチャンスだ。
 ……一時の感情で、全てを失うような真似はするんじゃないぞ」

教授は真剣な面持ちでキケンに訴えかけた。
キケンの顔から焦りが消え、そっとアコウの方を向く。
アコウは軽く頭を下げただけだった。

「……行ってきます」

キケンは正面の扉をゆっくりと、確実に開けた。

 

 

 

 

 

 

 


「……」

その先は応接室より格段に広く、そして外の世界から完全に隔絶された世界が広がっていた。
この広い世界には何もなく、奥に大きな機械が設置されているだけだ。
キケンが機械に歩み寄ると、心なしか脇のランプの点滅が少し早くなったような気がした。

『こちらの液体に手を浸した後、触れてください』

電子文字が機械の上部に流れる。
機械の前には透明の液体が入った容器が置かれていた。
キケンはその容器に両の手を入れ、機械の反応を待つ。
しばらくすると容器の中の液体がゴポゴポと音を立て、泡を立て始めた。
浄化が終わった証であるランプが光ると、キケンはそこから手を抜き用意されていたタオルで軽くそれを拭き取る。
キケンは機械の中心にある体温感知センサーに手を触れた。
するとセンサーの周りのランプが点滅し、小さな機械音を立てて四方へとパーツが組み込まれていった。

『セトナ様との面会を開始します』

電子文字が表示され、奥から何かが少しずつこちらへと押し出されてくる。
カプセルだ。カービィが一人入れる程度のカプセルである。
表面は強化プラスチックで中が覗けるようになっているが、スモークシールが貼られていて詳しく見ることは出来ない。
カプセルはキケンの前までやってきて、そのシールドをゆっくり開く。

「セト……ナ……」

キケンは涙腺から溢れそうになった涙をなんとか抑え留めた。
中にいたのは間違いなくセトナだ。天真爛漫で、いつもキケンを驚かせてくれた、セトナだ。
頭には電子パルスを送るためのプラグが所狭しと取り付けられ、目には混乱を防ぐために視界を奪う機械のゴーグル。
手足は自由になっているが、見たところピクリとも動いていない。

「セトナ、起きてるなら……この手を、握ってくれ……」

キケンはセトナの華奢な手を軽く握り、反応を待った。
しばらくすると、本当に、本当に微かだが小さな手応えを手に感じ取ることが出来た。

「セトナ……セトナ……分かるか? お前は、生きてるんだ……温もりを、持っているんだ……」

セトナの口元が軽く吊りあがる。が、言葉を発するには至らず、小さな呼吸が口を出入りするだけだった。
キケンは、前日から何を言おうかと綿密な計画を立てていた物の、この状況ではどんな言葉をかけていいのか見当がつかなかった。

「キ……ケ…………ちゃ……」
「わ、分かるのか!? ……焦っちゃダメだ、ゆっくり、少しずつでいい……」

自分に言い聞かせるようにキケンは優しく撫でるように言葉を与える。
セトナの口は何かを訴えるようにゆっくりと上下している。しかし、響きにならない。

「キ………………ちゃ…………」
「ゆっくりでいいんだ……ちゃんと聞いてるから、ゆっくり、ゆっくり……」
「キ……ケ……ちゃん…………」

大分、言葉がはっきりしてきた。
キケンは嬉しい気持ちの反面、とても泣きたい気持ちになった。
かつてはしゃぎ回っていた自分のかけがえの無い人が、こんな短い言葉を出す為に苦しむ事になろうとは。
やがてセトナの口から言葉が出てくることはなかった。口を小さく動かすだけだ。

「……何が、言いたいんだ……?」

 


………………す…………

 


セトナの唇が、そう動いたように見えた。

 


「……………………す?」

 


………………………………………………

 


「す……なんだ?」

 


…………………………き…………

 


「………………!?」

キケンは言葉を失った。
セトナの唇は少しずつその動作を繰り返す。何度も、何度も。

「………………セトナ……!」

滝のような涙がキケンの瞳から溢れ出す。
セトナの亡骸を抱いた時よりも多く、温かい涙である。
堪え切れなくなり、キケンはその手でセトナを抱いた。とても軽い身体だった。
こぼれ落ちる雫はセトナの頬を濡らす。小さな身体をしっかりと抱きしめ、その身体に僅かに残った温もりをかみしめる。

脳波に異常をきたすサインのランプが、残酷な赤い色で強く点滅した。
キケンは慌ててセトナを寝台に戻す。予定よりも30秒早い終わりだった。
カプセルにシールドが被せられ、そのまま機械の奥の方へと吸い込まれていく。

キケンは呆然とそこに膝をつき、ただ飲み込まれていくカプセルを見送った。
それが、二人の最期だった。

 

 

 

 

 


「さよなら、セトナ」

応接室に続く扉の前に立ち、背後の機械 ――セトナに向かってキケンは静かに呟いた。
この扉の向こうへ行けば、セトナとは永遠の別れになる。
一生この部屋に残りたい気持ちが募る中、キケンはドアノブを捻る。
ゆっくりと開いた扉の向こうへ進み、小さな音を立てて扉を閉めた。

永遠の時間が部屋に残り、セトナの灯が音もなく吹き消された。

 

 

 

 

 

 

「お別れは、すみましたか?」

応接室には、アコウだけがちょこんと座っていた。教授の姿は見えない。

「教授はどうなされました?」
「『キケンの情けない顔は見たくない』と言って出て行きましたよ。帰ってはいないと思いますけどね」

小さく微笑みながら廊下側の扉を眺める。
キケンは複雑な顔を浮かべ、アコウを見つめた。

「……貴方は、良かったのですか?」
「…………ええ」
「だって、たった一人の孫なんでしょう? 後悔はしていないのですか?」

 


「……ワタクシのできなかった事は、全て貴方が代わりを務めてくれましたから……」

キケンはその言葉に、心の傷口をそっと撫でられるような感覚を覚えた。
優しい笑みから送られてくる感情は、キケンの心を包み込む掌のような物であった。

「貴方のその顔を見れば、すぐに分かりましたよ。セトナも、きっと喜んでくれています」

アコウは改めて、深々と頭を下げた。
キケンは軽く笑みを浮かべて、頭を下げ返した。

「そういえば、キケンさんにこれを渡しておきます」

アコウは自分の足元に置いてあった二つのアタッシュケースを持ち上げキケンに手渡す。
キケンはそれを開く。中には無数の小さなプッシュカプセルが沢山詰め込まれていた。

「それは、全てセトナの発明品です。主にお遊びのものか、兵器のような代物が沢山入っています。
 中には未完成のものもございますが、それも含めて全てキケンさんにお譲りします」
「何故、私に?」
「ワタクシが持っていても何も出来ませんし、貴方なら完成させられると思ったからですよ」

アコウはアタッシュケースを切なげに見つめる。

「キケンさんの手によって完成させてもらった方が、セトナも嬉しいと思いましてね」
「そうですか……」

キケンはこの中にあの奇想天外な発明品が沢山詰まっているのを考え、少しだけ胸が躍った。

 

 

 

 


「……外へ行きましょう。今日はワタクシがご馳走しますよ」

 


「……ありがとう、ございます」

キケンの身体が、忘れていた空腹を思い出す。
アコウは小さく会釈をして、扉を開けて廊下へと出て行った。
キケンもそれに続いて、二度と戻ることの出来ない繋がりの扉を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


一ヶ月が過ぎた。
キケンは無事大学を卒業し、就職先の目途も付けていた。
セトナも卒業証書を貰い、彼女の墓へとそれは添えられた。
あの日、セトナを殺害した女子大生とその彼氏は逮捕され、現在刑務所にて罪人として扱われている。

キケンは、セトナの寮の部屋に業者が片付けに来る前に物品回収で訪れた。
中は小さな机と可愛らしいベッド、クローゼットがあるだけという綺麗にまとめられた部屋だった。
部屋を散策していると、クローゼットにセトナが作業の時によく使うヘルメットを見つけた。
キケンはそれを取り出し、布で汚れを拭き取る。綺麗な白いヘルメットがキケンを見つめるように光っている。

「……」

キケンはそのヘルメットを頭に被ってみた。ピッタリだ。
そのままの状態でクローゼットを閉め、キケンはセトナの部屋を出た。
頭に、セトナとの思い出のヘルメットを被って。

 

 

 

 

 

 

 


「入隊志望は?」
「罪の無い人達が殺められる世の中を、変える為です」

 


その日ある派遣隊員の学力試験を全問正解でパスした男がいたが、それはまた別の話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お久しぶりです、アコウさん」
「そうですね。元気でしたか?」

キケンは、花の咲き誇るアコウ亭の庭にアコウと向かい合って立っていた。
その脇には石造りの墓が立てられており、『SETONA』としっかり彫られている。

「今月分の、給料です」
「毎月ありがとうございます。今日もセトナに挨拶していってください」
「そのつもりです」

キケンは墓の前に屈み、両手を合わせた。

「セトナ、こっちは元気でやってるぞ。空から、見ててな」

それだけ言うと、キケンは懐からプッシュカプセルを取り出した。
墓の前でそれを開くと、機械のセトナ人形とキケン人形がその場に飛び出した。
お世辞にも良い出来とはいえないが、太陽光を吸収してエネルギーを生み、腕を上下させるという工夫が施されている。
なんとも、キケンらしくない物だ。

「一週間かけて作りました。これをセトナの部屋に置いてもらえますか?」
「勿論です。キケンさんがこのような物を作るとは、意外ですね」
「苦労したんですよ? 私には芸術的センスが無いもので……」

キケンは苦笑いと、咳を一つする。

「それじゃあ、そろそろ戻りますね。アイツらが心配です」
「おやおや、キケンさんも大変ですね」
「そうですね。私も、アイツらに助けられている節はありますけどね」

そう言って、キケンは立ち上がる。

「それでは、お元気で」
「はい。また来月にでも」

アコウは変わらぬ笑顔を見せた。
キケンは背を向けて、アコウ亭の出口へ歩みだす。

「…………変わりませんね」
「……何がですか?」
「…………そのヘルメットの、油汚れです」
「毎日磨いてる筈なんですけどね」

キケンは小さく笑った。
そして空を仰ぎ、再び歩き出す。

「いい天気だ……」

 

 

 

 

 


「あ、おかえり」
「あぁ。悪かったな、急にいなくなって」
「キケン、お前もたまにはサボタージュしたくなるもんなんだな……」
「サボタージュとは会議中などに木靴でコツコツ設備を叩いて抗議の意思表示をすることだ。即ち『サボる』」
「オーランジ、それくらいは知っている。そしてルシファ、万年サボタージュのお前に言われたくはない」
「うっせーな! それにサボろうとするとお前がしばきに来るだろ!」
「帰ってきて早々大変だな、キケン……」
「そう思うならお前も協力しろ! アクセル!」
「キケンの逆鱗に触れる前に部屋に戻るかのぅ、リホン」
「そうアルね」
「……待て、お前たち……このヤゴの残骸を片付けろ……」

 


アコウさん、そしてセトナへ。

私にも友達が出来ました。

友達といっていいのかは分からないけど、少なくとも私にとっては大切な奴らです。

また今度、そちらへ行きます。

今度は出張先で貰った、おいしい茶葉を持って行きます。

それでは、さようなら。

 

 

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